
『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』の取材を通じて、
ユニオンズOBたちに何人にも話を聞いた。
元選手たちは、みな70代後半から80代を迎えていた。
「最弱球団」と揶揄されていたチームではあったものの、
チーム解散からすでに60年弱が経っていたため、
「ホントに弱かったんですよ」と、みな笑顔で振り返ってくれた。
しかし、ただ一人だけ「例外」があった。
1954(昭和29)年6月12日――。
この日、ユニオンズの三番手としてマウンドに上がったのが、
新人で、プロ入り二試合目の出場となった田村満だった。
マウンドに上がった田村はまったくストライクが入らず、
1イニングで7つものフォアボールを与えてしまう。
「1イニング7与四球」というのは、
現在まで破られていないワースト記録となった。
この日のことを聞こうと、編集者が田村に連絡を取ると、
取材に対して乗り気ではないようだったという。
それでも、交渉を続けていると、
「私には私の言い分があるんです」と、
取材を受けてくれることになった。
そして、彼の住む富士市に出向いて話を聞いた。
取材は3時間に及んだ。初めは訥々と語る田村だったが、
ワースト記録の場面になると、次第に口調が重くなった。
それでも、田村は誠実に記憶の糸を手繰り寄せてくれた。
あの日、田村はどんな心情で、
川崎球場のマウンドに立ち続けていたのか?
詳しくは本書で振り返っていただくとして、
取材終了後、田村の口にした言葉が忘れられない。
「……まさか、あのときのことをこんなにしゃべれるとは
自分でも思ってもいませんでした。自分でも驚いています。
私の話を真剣に聞いてくれたのはあなたが初めてだし、
本当のことを話せて長い間の胸のつかえが取れました。
本当にどうもありがとう……」
大柄な田村が窮屈そうにお辞儀をする姿が強く印象に残った。
……本書刊行後、田村からメールが来た。
そこには、次のように書かれていた。
「これが私の青春期のすべてですね。
ありがとうございました」

