9月21日に、拙著『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』が発売される。
2009年の取材開始以来、ようやく形となることがとても嬉しい。
この本にまつわる「取材後記」はいろいろとあるのだけれど、
それらは、おいおいご説明することとしたい。
簡単に説明しておくと、
高橋ユニオンズとは1954(昭和29)年から1956(昭和31)年の
わずか三年間だけ、パ・リーグに存在したチームだ。
球団名に「高橋」とあるように、このチームは、
高橋龍太郎という個人がオーナーを務めたチームだった。
八十年近いプロ野球の歴史において、企業家個人としてでなく、
純粋な一個人としてチームを持った実に珍しいケースだった。
この高橋氏は、球団創設当時、すでに78歳で引退の身にあった。
「日本のビール王」と呼ばれ、元々政財界の大物ではあったものの、
当時は自宅でのんびりと暮す好々爺であった。
では、なぜその彼が球団を持つことになったのか?
チーム創設の経緯はいろいろあるのだけれど、
簡単に言ってしまえば「パ・リーグのため」だった。
当時7球団だったパ・リーグはどうしても1チームだけ
余ってしまって、日程編成上不都合が生じていた。
すると「セ・リーグと同様に6球団制に」という動きが起こる。
しかし、当時のパ・リーグ総裁・永田雅一が、
「人気のセに対抗するには、パは8球団にする!」と宣言。
そこで、高橋龍太郎にチーム創設の依頼が届くことになった。
龍太郎は「私がお役にたつのであれば協力します」と決意。
その後、龍太郎は私財を切り崩して、チームを運営する。
こうした事情だったため、なかなか有力選手は集まらなかった。
既存の7球団から、不要になった選手ばかり集められた。
新聞では「呑兵衛とポンコツの寄せ集め」と皮肉られた。
この『最弱球団』は、こうした「呑兵衛とポンコツ」と呼ばれた
若者たちの青春の日々をつづった記録である。
チームはわずか3年しか存続しなかった。
戦前の予想通り、本当に弱いチームだった。
――それでも。
ポンコツにはポンコツの意地がある。
彼らが3年間をいかに戦い、いかに引退していったのか?
そして、その後の長い人生をどう生きていったのか?
そんなことを意識しながら書きあげたのが本書だ。
このブログでは、本書の取材時のエピソードを、
つらつらと書き連ねてみたいと思う。
どうぞよろしくお願いいたします!
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